東京地方裁判所 昭和37年(ワ)8356号 判決 1965年12月15日
原告
五十嵐幸一
右代理人
原田勇
外四名
被告
有限会社九十九里本店
右代表者代表取締役
川崎一郎
被告
川崎一郎
被告
平沼伝一
右三名代理人
森川静雄
外二名
主文
1 被告らは各自原告に対し、金三、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三七年一月一五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを五分し、その三を被告らの、その余を原告の負担とする。
4 この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告訴訟代理人は「1被告らは各自原告に対し金五、〇四八、三七三円、およびこれに対する昭和三七年一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。2訴訟費用は被告らの負担とする。」
との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。
二、被告ら訴訟代理人は「1原告の請求を棄却する。2訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、原告の請求原因<中略>
三、損害
(一) 保子の得べかりし利益の喪失
保子は事故による死亡の結果、次の得べかりし利益を失つた。そして原告は保子の死亡によりその損害賠償請求権を相続した。
(イ)、訴外保子は、昭和一二年一二月一八日生れの女子で、事故当時満二四才であり、原告が所有する畑一町三反二畝二二歩による農薬を、原告、および訴外逸子との三人で共同して経営していた。
保子は健康であつたので、事故にあわなければ、天寿を完うしえたわけであり、「総理府統計局編集の昭和三六年度日本統計年鑑」所載の昭和三五年度生命表によれば二四才の女子平均余命年数は四八年八月であるから、同女は同程度の余命年数のうち少なくとも四三年間は通常農業従事者として稼動可能であつたと推定される。
ところで保子が死亡した前年である昭和三六年一年間における原告ら三名の農業による総所得額は一、〇三三、四八二円であつたところ、前記「日本統計年鑑」によれば、そのうち本件交通事故発生時に最も近い昭和三三年度の農家の平均収入総額、および農業経営費はそれぞれ五〇六、二一一円、一〇九、四三八円であることから考え、収入総額に対する農業経営費の占める割合は二割一分六厘と見るべく、原告ら三名の前記総所得額に右割合を乗じえた金二二三、二三二円を農業経営費と推定して、総所得額からこれを差引いた八一〇、二五〇円が原告ら三名の昭和三六年一年間の純所得額であり、その一人当りの同年中における純所得額は二七〇、〇八三円である。
また前記「日本統計年鑑」によれば昭和三三年度の農家一世帯当り平均世帯員数は五、八六人であるところ、その経済収支欄記載の食費住居費光熱費等生活費は合計三二三、七三五円であるので、これを基礎としてその一人当り生活費を算出すると五五、二四四円となる。
そうすると保子の年間純利益は純所得額から右の生活費を差引いた二一四、八三九円であり四三年間で九、二三八、〇七七円となる。これからホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、保子の死亡時における一時払額を算出すると二、九三二、七二三円となる。
(ロ)、仮に右主張のような経費、生活費の算出方法が認められないときは、左の方法による算出を主張する。
原告ら三名は畑一町三反二畝二二歩に疎菜類、主として「キヤベツ」を栽培してこれを市場に売渡し、その現金収入によつて生活を営んでいる専業農家である。而して「農林省経済局統計調査部編集にかかる第三八次農林省統計表(昭和三六年)」によると「キヤベツ」の一反当生産数量は四六〇七、九六キログラム、その価額は八三、五九〇円であるが、これから一〇〇キログラム当りの価額を求めると金一、八一四円となる。又、右「統計表」によると一〇〇キログラム当りの生産費(但し、資本利子、地代および公租公課を含まない)は五三二円であり、うち労働費は二七〇円であるから、生産費中の労働費を除いた物的経費は二六二円となる。そうすると、価額に占める物的経費は計数上一四、四四パーセントとなるからこれを原告らの昭和三六年度の現金収入一、〇三三、四八二円に乗じた一四九、一六六円が、この物的経費となる。これを年間収入額から差引くと金八八四、三一六円となるが、これがいわゆる付加価値即ち前記の原告ら三名が農業に従事することによつてその労働の対価として昭和三六年中に取得した収入金である。
而して右の三分の一である金二九四、七七二円が保子の昭和三六年中における労働による収入であると推認できる。一方「農林省農林経済局経計調査部編集にかかる農家生計費調査報告(昭和三六年)」によれば、原告方と同様年間七〇万円以上の収入のある農家については一年間の生計費は六七七、九三三円、その世帯員は七、三四人であるからその一人当りの額は九二、三六一円となる。
よつて収入から右金額を引いた二〇二、四一一円が保子の年間の純利益である。
よつて保子の労働可能年数である四三年間では金八、七〇三、六七三円となる。
これからホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、保子の死亡時における一時払額を算出すると二、七六三、〇七一円となる。
(ハ)、仮に右主張がいれられないならば左の方法によるべきである。
「農林省農林経済局統計調査部編集にかかる第三九次農林省統計表」によれば昭和三六年度の女子の全国平均農業労働賃金は一日金三八五円であり、一年に換算すると一一五五〇〇円(但し一ケ月当平均稼動日数は二五日とする)となる。
又右統計表によれば昭和三六年度の農家一戸当りの平均家計費は金四一六、八〇〇円であるところ、その年度始における農家一戸当りの平均常住家族は五、六三人であるので一人当りの平均家計費を算出すると金七四、〇三二円となる。保子もまた農業を営む原告方の常住家族であるから昭和三六年中において生活費として右一人当り平均家計費と同額の金員を費消したものと推定できる。
そうすると、年間の純収入は四一、四六八円となり四三年間で一、七八三、一二四円となる。これが四三年間における得べかりし利益の総額ということになるが、これからホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除すると被害者保子の死亡時における得べかりし利益の一時払額は金五六六、〇七一円となる。<中略>
四、以上のように、原告は保子の得べかりし利益の額として第一次的に二、九三二、七二三円、第二次的に二、七六三、〇七一円、第三次的に五五六、〇七一円を主張するものである。しかし、昭和四〇年四月、本件交通事故による損害保険金として五〇〇、〇〇〇円の支払を受けたので、これを右の一部に充当し残額を請求する。
これに保子の慰藉料一、五〇〇、〇〇〇円、原告の支出した葬儀費一一五、六五〇円、原告の慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円を加えると総額五、〇四八、三七三円(第二次的に四、八七八、七二一円、第三次的に二、六七一、九二一円)となるので、原告は被告らに対し各自右金額およびこれに対する事故発生の日の後である、昭和三七年一月一五日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。<以下省略>
理由
<証拠>を総合すると、昭和三七年一月一一日午前五時四〇分ころ、東京都板橋区上赤塚町一〇六番地先川越街道において、訴外五十嵐孝文が運転し、訴外五十嵐保子および五十嵐逸子が同乗して池袋方面から埼玉方面に向け進行していた貨物自動車が、道路を横断中の歩行者訴外吉岡盛に接触して、同人をセンターライン付近に転倒させた上、頭部に負傷、失神状態に陥らせたので、孝文はもよりの林屋建材店の電話で板橋消防署上板橋出張所に救急車を要請し、かつ付近の安田医院の医師を起こしに行つて引返し、右吉岡のかたわらでその容態を見守り、保子と逸子は吉岡の両側に中腰あるいは両膝をついた姿勢で、その頭部をささえ介抱していたところ、埼玉方面から池袋方面に向う大型貨物自動車がその場を通過し、保子はその自動車に接触され、そのため約五、五米くらいはね飛ばされて転倒し、よつて、同日午前六時ころ同町一〇八番地安田医院において頭蓋内損傷により死亡するに至つたことが認められる。
二、ところで被告らは、被告平沼が、そのころ、大型貨物自動車(埼一す四九〇一号)を運転して埼玉方面から池袋方面に向い事故地点を通つたことは認めるので、次に右の第二の事故を惹起したのは、その車であつたか否かにつき判断する。
<証拠>を総合すると訴外五十嵐孝文は、保子の傍にいて大型貨物自動車が同女をはね飛ばし、しかも停止することなく、そのまま進行するのを認め、直ちに付近に停車してあつた自己の貨物自動車に乗つてUターンして追跡にかかつたところが、加害自動車は、既に「板の上」近くにあつた。そこで孝文は時速七〇粁ないし八〇粁の速度で追い掛けたが道路は、「坂の上」から右にカーブしているため、加害自動車を一旦、視野からはずしたが、坂の上から二、三〇米の地点で先行する車を見つけたので、これを加害車であるとして追跡し、追付き、さらに暫く追尾の上、道路工事をしている箇所では右側の道を先行し、警視庁練馬警察署北町巡査派出所に届けて、追跡した車の停止方を求め、これによつて、同交番の巡査高見利男は、その車を停止させたが、その車は被告平沼の運転する貨物自動車(埼一す四九〇一号)であつたこと、他方保子がはねられるのを目撃した訴外大崎利江および岡住登志雄らは、その後、被告平沼の車を見て加害車はこの車であつたと思つていることおよび同人らはいずれも、右第一事故発生と第二事故発生との間には、この道路上を埼玉方面から池袋方面へ向う車を一台も見ていないこと、が認められる。
また<証拠>によると、保子の右頭部に長さ一〇数糎の傷があること、被告平沼の運転する貨物自動車の右後車輪側面部には強くこすれたあとがあり、鑑定人上野正吉の意見によれば、保子は後車輪ではねられれば右後車輪側面部のリムによつて右認定のような傷ができうること、が認められる。<反証排斥>
以上の事実によると、訴外五十嵐保子との衝突事故を惹起したのは被告平沼の運転する車であつたと認めるのが相当である。
<証拠>によれば、被告平沼が運転台に訴外堺野てる同堺野重雄を同乗させて本件事故現場を通つたのであるが、まだうす暗く、話しながら通つたせいか、道路の中央付近に二、三人の人が固まつているのにも気づかず、また人と衝突したためのシヨックをも感ぜず衝突したことに気がついていなかつたことが認められるが、右事実も右認定を左右するものではない。
三、次に被告平沼の過失について判断する。
事故現場は歩車道の区別ある車道幅員一六、七米、センターラインはキャツツアイで表示されているコンクリートで舗装されている道路であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、当時は早朝でうす暗く、街路灯がまばらに点灯されているが十分でなく、被告平沼はライトをつけて運転していたこと、埼玉方面から事故現場にいたる約六〇米手前の地点まではのぼり坂になつていて同地点の以前から現場への見とおしはよくないこと、しかし六〇米の点からは事故現場へのみとおしができるところ、前認定のように現場には、保子ら数人の者がかたまつていたのであるから、当然これを認めるべきところであるのに、被告平沼はこれに気づかなかつたのであつて、(その原因は同乗者と話をしていたかあるいは三人掛けで右方向に寄つていたので右の見とおしがわるかつたかいずれにせよ)自動車運転者として前方を注視して運転すべき義務を怠つた過失があり右過失によつて慢然そのまま進行して、保子に衝突したものと認められる。<反証排斥>
<証拠>によれば被告平沼の乗車していた貨物自動車(埼一す四九〇一号)は被告会社の代表者であることについて当事者間に争いがない被告川崎一郎が訴外関東いすゞ自動車株式会社から昭和三六年四月買受け、その所有権を取得し、これを専ら被告会社をしてその事業のため使用させていたことが認められる。<反証排斥>
そうすると、被告会社は、自己のために加害自動車を運行用に供する者であつたと認められるから、その運行によつて生じた損害の賠償に任じなければならない。
つぎに<証拠>によれば、被告会社の従業員はだいたい四、五名であり、加害車の他に小型四輪二台と乗用車一台があり、資本金は八〇万円であつて、代表取締役川崎一郎のいわば個人会社であつて、同人が直接従業員を指揮監督していること、そうした、被告平沼は被告会社の従業員またはこれに準ずべき者であつて、毎日定刻に会社に出勤し、専ら被告会社の指揮監督の下に、その事業である肥料の運搬に従事していたことが認められるから、被告川崎は、被告会社に代つて事業を監督する者として被告平沼の行為につき民法第七一五条第二項の責を負うものであるといわねばならない。ところで、<証拠>によれば、原告は訴外五十嵐保子の父親であり、その唯一の相続人であることが認められる
よつて、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条により、被告川崎一郎は民法第七一五条第二項により、被告平沼伝一は民法第七〇九条により、被告平沼の行為について、保子の父親として原告および保子の相続人としての原告に対して、各自損害賠償の責に任じなければならない。
五、よつて原告固有の損害および原告が相続した被害者保子の損害について考察する。
(一)、保子の得べかりし利益、
前出甲第五号証、成立に争いがない、甲第八号証の一、二(総理府統計局編集の昭和三六年版日本統計年鑑)および原告本人尋問の結果によれば、保子は昭和一二年一二月一八日生(本件事故当時二四才)の健康の女子であり、それまで農業に従事し、いずれは婿養子でもとつて引続き農業を継続するつもりであつたことおよび昭和三五年度の同年令の女子平均余命年数は四八、八三年であることが認められるから、以上を総合すると保子は本件事故にあわなければ満五五才まで、あと三一年間従前同様に稼動できたものと推定される。
ところで保子の収入を考慮するに<証拠>、によると、原告は畑一町三反二畝二二歩を所有し、これを耕作する農家であり、保子は中学卒業後農業に従事したが保子の母が子宮癌で昭和三四年末から入院し翌年末に死亡するようにになつてから、長女として弟妹四人の世話をはじめ一切の家事をあずかるとともに、原告の片腕として、自家の農業経営にあたつたこと、保子が死亡後は、手がなくなつたので、一反歩を売却し、二反歩に植木苗を栽培することにかえたことが認められる。
右事実によれば、保子の収入の算定にあたつては、原告の家での農業による全収入の少なくとも三分の一は、保子の労働による収入として計算することが妥当と考えられる。
<証拠>によれば、原告家では、原告所有の畑に野菜を作り、その八割はきやべつであつたこと、作物は訴外東印東京青果株式会社、同大和青果株式会社に売渡し、昭和三六年中の総売上額は一、〇三三、四八二円であつたこと、原告方できやべつを作るのに一反当り種子代二、〇〇〇円、肥料代五、〇〇〇円、消毒費三、〇〇〇円、籠代六〇〇円の経費を要し、原告方では二毛作であることが認められる。そうすると、右の総売上額を作るに要する経費は大約右経費を一町三反二畝二二歩に換算し、かつ二毛作であるので二倍した二九六、三二四円であると推定され純利益額は七三七、一五八円となり、このうち被告保子の寄与した部分は前述のように三分の一とみるを相当とするから二四五、七一九円となると考えられる。
又、成立に争いがない甲第三〇号証の一、二(農林省農林経済局統計調査部編昭和三六年度農家生計費調査報告)によると、関東地方における年間七〇万円以上の収入のある農家の一年間の家族生計費は六七七、九三三円で、その世帯員は七、三四人であることが認められるから、一人当りの平均支出額は九二、三六一円となることは計数上明らかである。してみれば保子の生活費も同様と推定されるから、前記収入から右生活費を控除して得られる一五三、三五八円が年間純益額というべきである。
よつて前認定の推定稼動年数である三一年間の合計四、七五四、〇九八円をホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を差し引いて一時払額を算出すると一、八六四、三五二円となる。
右金額を、保子の得べかりし利益とみるを相当とする。
(なお、原告は収益から控除されるべき費用の計算にあたり、各種統計表の数値を主張しているが、原告方の経営の実態による方が妥当であり、計算上も大きな数値がでるので、上記の計算によつた。また、家計費の支出も、収入に比例すると考えられることは経験則上明らかなので、より個別的な数値を用いたものである)
(二) 保子の慰藉料
前認定のように被害者保子は二四才の健康な女子であり、かかる不慮の事故によつて、その生命を失うに至つたことを考え合わせ、その慰藉料は、一、二〇〇、〇〇〇円とするのを相当とする。
(三) 原告が支出した葬儀費
<証拠>によると原告は保子の葬式に関する費用として一一五、六五〇円を支出したことが認められる。
(四) 原告の慰藉料
前記認定のように、原告にとつて保子は妻なきあとの片腕としての地位を持つていたのであるが、原告本人尋問の結果によれば、親思いで、原告のため、いくつかの縁談も断わり未成年の弟妹の面倒を見ていた、気立ての良い娘であつたことが認められ、原告が愛娘を失つた悲しみは多大であると認められる。
よつて原告の右精神的苦痛に対する慰藉料として金一、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。
以上(三)、(四)および原告が相続した(一)、(二)を総計すると四、一八〇、〇〇二円となる。
六 被告は過失相殺を主張するので判断する。
前認定のように保子は、五十嵐孝文が起こした第一の事故の被害者たる吉岡を、センターライン付近で、介抱していたものであるが、当時暗かつたのであるから、吉岡を動かすことができず、そのままの状態で救急車の来着を待つのであれば、同所を通過しようとする車になんらかの方法で警告を与え、もつて第二の事故の発生を防止すべきであつたと考えられるが、これをしたと認める証拠はないから、かかる点に保子にも過失があつたといわざるをえない。従つてその過失は本件事故の一因ともなつたといえるのであつて、これを被告平沼の過失と対比してその損害額の算定につき考慮すると、被告らの賠償すべき損害額は前項(一)につき、一、六〇〇、〇〇〇円、(二)につき一、〇〇〇、〇〇〇円、(三)につき一〇〇、〇〇〇円、(四)につき八〇〇、〇〇〇円以上合計三、五〇〇、〇〇〇円が相当である。
七、ところで、原告が損害保険金として五〇〇、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いがなく、原告はこれを得べかりし利益の喪失による損害に充当したことを自認するので、これを控除すると、結局残金合計は三〇〇〇、〇〇〇円となる。
そうすると、原告の本訴請求は、被告らに対して各自金三、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する損害発生の日の後である昭和三七年一月一五日から支払ずみに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条第九三条第一項を仮執行の宣言につき、同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。(吉岡進 楠本安雄 浅田潤一)